[働く事]長い会社勤めの間、大きな時代の変化がありました。

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社会保険労務士として開業する事になった個人的なお話です。




今を去る事30数年、高校を卒業し、長く働けるだろうと安易に選んだ公務員。




昭和57年当時、初任給は手取り7万円ちょっと、清水さん給料どう、と先輩に聞かれ、お小遣いの延長気分で、とっても沢山もらいました、と答え、大笑いされて社会人生活は始まりました。




朝行くと、机を拭き、灰皿を洗い、たばこを吸う人の所へ配置、お茶くみは朝、昼、晩、お客様がくれば、その都度お茶出し、典型的な事務補助です。




電卓、会社のPCはありましたが、数は少なく共同使用、先輩のそろばん5段、両手でそろばんが使える、とか昔は大八車で郵便物を運んでたんだよ、という話を昔話として飲み会の席で聞きました。




組合の動員があり、歓迎会、花見から始まる頻繁な飲み会、今思えば、集団で行動するのが当たり前の時代でした。





課を分けて管理職を増やす時代もありました。




そんな時代、大騒動を経て、民営化へ。




組織が二つに分かれます。




各県にセンターが作られ、書類の一括処理へ。




マニュアルが作られ、個人の責任の所在が厳しく問われるようになります。




正社員が半減、期間契約職員が残りの半分を占めるようになりました。




今後は各県にあった事務センターがさらに集約、主要都市7ヶ所程度になる予定です。




良い事として、書類の管理システム化し、処理の流れが誰にでも見られるようになった事、世間で叩かれ、接客等が丁寧、親切になった事などがあります。



逆にディメリットとしては、人が減らされ残業時間が増えた事、正社員の他に多彩な契約の職員が増え、人間関係が複雑になった事、県外異動が頻繁になり、いきなり静岡から北海道へなど転勤の意味を問われるもの等々があります。




昔は定年まで勤め上げるのが当たり前の職場が、櫛の歯が欠けるように抜けて行き、ベテラン勢の姿が見当たらなくなり、仕事の継承はマニュアル頼み、仕事は判断、裁量の部分がなくなり、マニュアル通りの処理かどうかだけになって来ます。




毎日の朝礼では、叱責、ノーミス、についての話が定番になります。



その他には突然の監査が入り、机の引き出しからロッカーまで見て行きます。



全国2万人もの大所帯、職員も様々な契約の人を抱え、世間の目も厳しい、となれば仕方のない事かもしれません。



でも残業、叱責の続く職場、何か別の方法はないんだろうか、と思う日々が続きます。



給与制度も評価制度が導入。




上司の気持ち次第の評価で、こちらの言い分は通りません。



良く評価されるのは嬉しいですが、そこなんですか、という戸惑いがあったり、悪い評価にも客観的な根拠がなく、上司の個人的な気持に感じてしまい、モチベーションアップにはほど遠い状態です。




又自分の裁量権のある時、箇所では、残業のしなくても良いよう、連絡、研修等出来ますが、そうゆう権限のない時は、ただいわれのない叱責を受けるばかり、指をくわえて残業が続く職場を見守しかありません。




もっともっと仕事って面白く出来るのに、という思いが募り、無謀にも取って置いた社会保険労務士の資格を使い、会社を退職、独立する事にしました。



[働く事]長い会社勤めの間、大きな時代の変化がありました。
















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